カモメノート

自由帳

夢の花

美しい夢を見た。

灯りのない古びた六畳間の一室にいた。その部屋は一面だけが硝子張りになっていて、そこから庭が見えるのだ。庭には広い池があり、その傍らに枝垂れた枝に花を咲かせた古木がある。薄暗い部屋から覗く庭は春の柔らかな光に満ち満ちて、唐紅の花は鮮やかに咲き誇っていた。あまりに美しいから、ずっとこの夢が覚めなければいいにと思った。

夢の花を、初めは枝垂れ桜かと思ったが、桜よりずっと赤くて、目覚めてからよくよく考えると枝垂れ桃に近いようだった。

 

私は桜が好きではない。「ことならば咲かずやはあらぬ桜花」「世の中に絶えて桜のなかりせば」だとかそういう愛憎相半ばするような思いではなくて、単純にあの、忙しなく散っていく様がつまらないからだ。突然花を咲かせたかと思えば、少し風が吹いて雨が降れば散る。そうでなくてもすぐに散る。しかも派手に散るから騒々しい。綺麗だと全く思わないわけではないが、他の花と比べて格別に美しいとは思わない。梅、桃、木蓮、くちなし、山吹、蓮、桔梗、水仙、百合、椿。他に美しい花はいくらでもある。それでも夢の中にまで出てきて、真っ先に頭に思い浮かぶのは桜なのだから滑稽だ。国中に植えられて、文化的にも親しまれてきた花だから、嫌でも頭に刷り込まれているのかもしれない。 

桜が好きではなくても、誘われて花見に行ったりはするが、中でも記憶が鮮明で忘れられない思い出が一つだけある。高校一年生の春休み、自習のために学校に入り浸って、飽きもせずに古典文法やら英語の頂部読解やらを勉強して、お昼になったら友達とコンビニへ食事を買いに行っていた。校門の近くには桜が植えられていて、ちょうど入学式の頃に咲く。四月の頭を過ぎた頃には、白いタイル張りの通路に、淡い色の花びらがひらひらと落ちていくのだ。桜の花を横目に、毎日登下校をしていた。

その日も、お昼ご飯を買いにいくために校舎を出ると、先生が一人門扉の傍らにいて、はらはらと散る桜を眺めていた。その時、ふと桜を美しいと思った。その背中はどこか寂しくて、人生五十を過ぎた人間の人生を感じた。先生はあの忙しない花を見て何を思うのか知りたい、と漠然と思ったけれど、それを聞く術は私にはなかった。

先生のことは先生として慕っていたから、たとえ誰が何と言おうと、私はあれが恋だったとは全く思わない。それでも桜の花を見るたびに先生を思い出して寂しくなるから、やっぱり桜は憎たらしいなと思ってしまうのだ。