カモメノート

自由帳

献燈の文字黒黒と冴え渡りこの地で生きる人の名を知る

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私は夏が好きだが、夏は特に郷愁に駆られる。色んなものが懐かしくなり、昔のことを思い出す。特に、こうしてどこにも行けない日が続くと、本当に昔のことばかりを思い出してしまう。

 

去年、私は新卒で入った会社を辞めて、七月のあいだ、有給を消化して自由気ままな時間を楽しんでいた。普段は東京に住んでいるけれど、一週間半ほど実家に戻ったりもした。その時ちょうど地元の小さな神社のお祭りが催されていて、何の気紛れか、行ってみることにした。

私は地元が好きではない。あまりいい思い出がないからだ。それでも、二十年以上住んでしまうと、否が応でも思い出は出来てしまうし、頭の底にこびりついて離れない記憶もある。それに、地元が好きではないというのは、地元の人が好きではないということに等しい。人口のせせらぎが流れる小道、夜になると不気味な池、林の奥にある謎の鳥居、小高い場所から見下ろした町、川と呼ぶのも躊躇われるような、水の細い川、桜が花を散らして緑に染まる様、草いきれの夏の匂い。そういった景色や感覚は、実はとても好きだった。それらは全て忘れ難い記憶として染み付いていて、偶に思い出したように夢に現れる。

地元の祭りに行こうと思ったのも、そうした郷愁に駆られたからだ。誘う人も、誘いたい人もいないので、一人で歩いて行った。私は昔から一人が好きだった。蝉の鳴き声を聞きながら、夕方の道をふらふらと歩いた。その日は昼間に少し雨が降って、太陽の光もどこか弱々しく、雲が空を覆ってじめじめとしていた。

目的地にたどり着いてみると、参道とも違う、神社のそばにある道には、いくつかの出店が連なっていた。綿飴やりんご飴、たこ焼き、ヨーヨー釣り。思ったよりたくさんの人が出店を見て回っていた。中学生くらいの女の子たち、浴衣を着た少女の手を引いて歩く母親、見るからに腕白そうな男の子の集団。出店の量だって大したことはない。六つ七つほど連なりあって並んでいるだけだ。その奥には小さなステージが設えられていて、どうやらカラオケ大会をするらしかった。

出店やステージには興味が沸かず、境内へ足を踏み入れた。神社は鬱蒼とした木々に覆われていて、汗が引く涼しさだ。先程とは打って変わって、地元の年配者が多かった。浴衣の少女が二人、父親に倣いながら共に手水舎で手を清めていた。親子が清め終えてから、私も後に続いた。水盤には西瓜が沈んでいた。お浄めが終わったら、石の階段を登る。この神社は、石段を登り切った一番上に本殿があるのだ。割と急な石段で、浴衣を着た幼子が登るにはしんどいだろう。両脇を古木に覆われて、夕方の光だけでは薄暗かった。外灯も申し訳程度にしか設えられていない。寄ってくる蚊を払いながら、途中で親子に道を譲ってもらい、昔祖母とこの道を登ったことを思い出しながら、本殿を目指した。

本殿の一つ手前に社務所があり、小さな休憩スペースが設けられていて、無料の冷やし飴が振る舞われていた。勧められるがままに椅子に座り、冷やし飴を飲みながら、一息ついた。社務所のある場所は高台で、もうこれ以上高い場所は本殿だけだった。森も抜けてしまったから、遮る木もなく、遠くまで街を見渡すことができた。弱い夕日が薄明るく、灰色の町を照らしていた。社務所の周りでは、地の人たちが楽しそうにお喋りをしていた。ふもとから微かにカラオケ大会の声が聞こえてくる。流行りの歌を歌うのは、まだまだ若い男の子の声だった。

冷やし飴を飲み干して、本殿に続く最後の階段を登った。参拝をしてから、もう一度暮泥む町を振り返った。雨上がりの灰色の空だった。蜩が物悲しく鳴くので、途方のない寂しさに駆られた。この町を捨てたのだなあと思った。

石段を降りて、ふもとにたどり着いたら、登り始めた時よりずっと暗くなっていた。ふもとには周りを木々で囲まれた小さな滝があり、周りには明かりもないから、神聖なような、不気味なような、水の音ばかりが暗闇に響いた。そっと近づいてみると、滝がしぶいて、脛を薄らと濡らした。足に意識が行き、いつの間にか蚊に食われていたことを知った。途端に痒みを覚えて、ガリガリと引っ掻いた。

そろそろ帰ろうと思い、参道を引き返して行った。行き道はまだ明るくて気がつかなかったが、暗い森の中に、灯明の灯りがいくつも並んでいた。灯明には「献燈」の文字と共に、奉納した者の名前がくっきりと刻まれていた。暗い境内の中で「献燈」の文字は、白い灯に照らされて、黒黒と浮かび上がっていた。

 

中学生の時、朝五時頃、自室の部屋のベランダに出て、遠くに小さく見えるビルの街並みを眺めては、遠い町に行きたいと何度願ったか知れない。その願いを叶えて、今東京にいるけれど、今でもまだ、どこか遠くへ行きたいと願っている。会社だって辞めてしまったし、二番目の会社だって、捨ててしまってどこか遠くへ行きたいなと思う。

私には、地元の神社に献灯をするような人生は到底送れない。献灯をして、自分の名前をそこに刻むなんて絶対にできない。カラオケ大会で歌ったり、自分が小さい頃頃に行ったお祭りに、今度は親となって子を連れていく人生はあるはずがない。

暗闇に浮かび上がる「献燈」の文字は、力強く美しくて、自分の人生にはない文字だった。今でも記憶にこびりついて離れない。忘れ難い記憶がまた一つ増えた。この思い出はきっといつか夢に見て、私に郷愁をもたらし、地元に戻っておいでと手招きするに違いない。そして帰るたびに、自分が捨ててきたもの、取り逃してきたものを思い出させるのだ。