カモメノート

自由帳

一服差し上げます

茶道に「鏡柄杓」という構えがある。左手で節の下を持ち、右手を切り止めに添えて、柄杓の合と向かい合う。どんなに辛く悲しいことがあっても、合と向かい合う瞬間だけは、心が落ち着く思いがする。

 

 

学生のとき、ずっと部活動で茶道をしていた。中学生で初めて茶道部に入ってから、高校も大学も茶道部だった。

中学校では、茶道初心者が必ず通る「盆略手前」と「千歳盆」を習った。どちらも瓶を使う点前で、釜や柄杓は使わない。重い瓶は片手で持ち上げるのに苦労する。中学生の頃の私は、少し英語が好きなくらいで、他には熱中するものがないつまらない子供だったけれど、何故か茶道は好きだった。

普段真面目に稽古していたわけではない。月に一度、地域のお茶の先生が来るので、その日は一所懸命励んだ。こう書くとアピールのように思われるかもしれないが、そうではなかった。先生に一つ一つの作法を教わり、袱紗を捌き、瓶の湯を茶碗に注ぎ、茶を立てる、全ての動作が好きだった。他の生徒が先に帰ってしまっても、先生とふたりきりで向き合って、手前を教わったのだ。部室は西日が当たる部屋だったから、水屋から茶室を覗くと、畳が橙色に染まって美しかった。窓から見える池の水面が、夕日を反射してきらきらと輝いていた。

 

高校では、最初は茶道部に入らず、演劇部に所属したが、演劇に強い興味を持てないまま古典にのめり込んで、毎日演劇部で練習をする時間がもったいなくてじきに辞めてしまった。高校演劇の台本が、どうも私には苦手だった。

晴れて自由な時間を手に入れ、毎日古典の助動詞を眺めたり品詞分解をしたりするのは楽しかったが、それでもふと頭に浮かぶのは茶道をしたいという気持ちだった。夕方の和室で、先生と二人向き合ってひたすらに稽古に勤しんだことが忘れられなかった。どれだけ新しい和歌に出会っても、どれだけ古典単語を覚えても、どれだけ英文を読み続けても、茶道は常に頭の片隅にあった。だからもう一度茶道部に入った。

高校の茶道部も外部から先生が来てくださる形で、先生が来る日は近くの商店街へ和菓子を買いに行くのが常だった。その店は苺大福が美味しくて、お菓子の中に必ず一つは苺大福があった。私はまた盆略から始め、風炉薄茶点前などを教わった。

 

大学の茶道部は、とても一言では言い表せない。泥沼のような部活だった。辛く、悲しく、恥ずかしく、みっともなく、自分が醜く、そんな思いを何度もした。それでも思い返すと懐かしいことばかりなのは何故なのか分からない。そして、それでも茶道は嫌いにならなかった。茶道を愛していた。

 

こうしてずっと茶道を続けてきた理由は何なのか、何故こうも茶道に惹かれるのか、ずっと考えてきて、最近ようやく答えがわかった気がする。

例えば、茶道をすると仕草がきれいになるだとか、和の心やおもてなしの心を知ることができるだとか、そういったことをよく言う。先生にも思いやりの心を学べますと言われた。例えば夏の風炉釜の柄杓の合が小さいのは、暑い夏に沢山お茶は飲めないからだとか。夏は風炉釜、冬は炉を使うのは、暑い夏にはお客様から火を遠ざけて、寒い冬にはお客様が火の近くで暖まれるようにするためだと教わる。夏は涼しく冬暖かに。そういったことが思いやりで、おもてなしなのだと教えられて、茶道のそういうところが好きという人も沢山いた。

それを考えると、私は決して良い茶道の生徒ではないと思う。私はそれらを合理的とこそ思え、強く惹かれることはなかった。私は茶道をしている時だけ、ひたすら私を忘れられる。私だけではなくて、何もかもを。ただその目の前の一つだけに意識を集中できる。他人の評価も、自分の欲望も、その時ばかりはどうでも良くなる。英語が好きだったけれど、誰かに褒められたいと言う欲望が全くないわけではなかった。古典が好きだったけれど、勉強したら先生と話せると全く思わなかったわけじゃない。でも茶道だけは違って、茶道をしているときは、そこには何にもない。お茶を差し上げる相手がいて、自分がいるだけだ。深い水の底に沈んでいるように、ただ静かでいる。私にとって茶道は瞑想だった。

人工的な灯のない茶室では、五感は一層冴え渡る。着物の衣擦れ、摺り足、袱紗捌き、柄杓が竹の蓋置を叩く音。湯を注ぎ、茶を点てる音。夏の葉蓋の涼やかさに、冬、釜から立ち上る湯気。炭と白檀の深い香り。河原撫子、桔梗、侘助椿。黒樂に点てられた茶の鮮やかさ。夏は蝉の声が染みわたり、秋には秋の虫が鳴く。四畳半の薄暗がりの中に、ぼんやりと輪郭のない美しさがある。茶室で炭の支度をするとき、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』を思い出す。そして何故だから分からないが、客として茶室に入ると、徒然草の一節が思い返される。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」

 

一つ断っておくと、茶道と茶道部は全く違う。部活動は若者同士の人間関係そのものだから、イライラもしたし、楽しくもあったし、辛くもあった。紛いなりに十年近く続けてきて、沢山の人と出会った。それは一言で言い表せるものではない。

ただ一つだけ分かることは、昔同じ時間を確かに過ごしたのに、皆でお茶をすることはもう二度とないということだ。それが一期一会ということだったのだろう。本当に嫌なことも恥ずかしいことも沢山あったはずなのに、思い返すと寂しくて胸が苦しくなる。学校を卒業してからもうだいぶ経つのに、今でも思い出す。

 

自分の気持ちは本当にままならないものだ。何年も経ってから答えあわせのように記憶は蘇る。数学の先生も、古典の先生も、茶道部の人たちも、何もかも全てが、私を寂しくさせる。

そうしてどうしてもやるせない時に、頭の中ではいつも柄杓を構えている。鏡柄杓、置き柄杓、切り柄杓、引き柄杓。そうすると、心が落ち着いて、深い水の中にいるような気持ちになって、あとはただそれだけになるのだ。