カモメノート

自由帳

隅田川の思い出

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「2015年10月1日に東京の本社で15時半から内定式を行います。15時にお集まりください。」

2015年の9月も半ばを過ぎた頃、新卒で内定を貰った会社から、そのような内容のメールを受け取った。

私はそれまで、東京に行ったことがほとんどなかった。関西に住んでいると、たいていの就職活動は大阪で済んでしまうし、東京には受験や最終面接で行くくらいのもので、観光という目的で行こうと思ったことは一度もなかった。

今思えば随分と緊張感のない話だが、15時に集合すればよいのであれば、朝一番で東京に迎えば、どこか観てまわれるかもしれない、と考えた。なお、内定式の時間が遅かったのは、遠方の出席者への配慮だけではなく、夜の飲み会のためだと、入社した後によく分かった。それほどにお酒が好きな会社だった。

東京で行きたいところはどこだろうか、と考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのは二つの歌だった。

何し負はばいざ言問はむ都鳥わが思う人はありやなしやと」と、「池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる」。

前者は伊勢物語東下りの中に出てくる歌で、隅田川で「都鳥」という名の鳥を見て詠んだ歌だ。後者は伊藤左千夫が、亀戸天神の藤を詠んだ歌で、大好きな一首だった。

墨田に行って、隅田川亀戸天神を見に行こう。隅田川の近くには、長命寺桜餅のお店があるから、関東風の桜餅を食べよう。10月にしては随分季節外れな計画を立てた私は、就職活動用のスーツを着て、黒い鞄を持ち、朝一番の電車で東京で向かった。

実はどのようにして墨田に行ったのか、全く記憶にはないのだが、恐らく押上駅とうきょうスカイツリー駅で降りたのだろう。住宅街を通り、隅田川へ向かった。私は地名が好きなのだが、業平という地名の場所を通ったことは覚えている。

慣れない道を20分ほど掛けて歩くと、隅田川の堤防が見えた。まず桜餅の店に寄り、長命寺桜餅を確か四つ買ったのだと思う。それから堤防を上がって遂に見た隅田川は、予想よりずっと大きく、生臭かった。勿論伊勢物語の時代からは随分と様変わりしていることは分かっているが、都会を流れる大きな川だった。川の流れを眺めながら、桜餅を一つ食べた。美味しかったけれど、道明寺桜餅の方が何倍も美味しいと思った。残りを鞄に詰め込んだことを覚えているので、恐らく家族へのお土産にしたはずだ。餡子が嫌いな妹は食べなかったかも知れない。

晴れた日の10月に、真っ黒なスーツは暑くて、

ジャケットを手にして亀戸天神へ向かった。この移動もあまり記憶がない。

亀戸天神では勿論、藤の花は咲いていなかった。晴々とした空に、赤い太鼓橋が美しかった。池には亀がいた。短歌から感じる、少し陰鬱なもの悲しさは微塵も感じられなかった。晴れた日の下町の神社はとてものどかで、他にも散歩に来ている人がいた。参拝し、境内を散歩し、亀を眺め、おみくじを引いていたら、そろそろ会社へ向かわなければならない時間になっていた。調べると、錦糸町という駅で地下鉄に乗ればいいらしかった。錦糸町とは、なんてきれいな名前なんだろう、と思いながら歩いた。神社のそばには船橋屋という老舗の和菓子屋があり、くず餅が有名らしかった。今度は絶対に食べようと決めた。錦糸町の駅のそばには、広めの公園があった。木の葉っぱが光でキラキラしていた。風が吹いて気持ちよかった。

平日十四時ごろの半蔵門線は空いていた。私は腰掛けて、通り過ぎる駅の名前を見ていた。錦糸町、住吉、清澄白河、水天宮前。全てが綺麗な名前だと思って、うっとりした。

最寄りの駅を降りて会社についてからのことは、 ほとんど覚えていない。記憶にあるのは、同期の中に仲良くなれそうな女の子がいて嬉しかったことと、飲み会で茶道が好きなことを言うと、お嬢さんかと言われて辟易したことくらいだ。飲み会は20時に終わり、その足で大阪へ帰った。

 

それから半年後にその会社へ入り、また半年経った頃に東京へ転勤となった。私は墨田区の家を選んだ。東京生まれの先輩には、女の子の住む場所じゃないよ、西にしたらと言われた。後で知ったことだが、近くの街であるの北千住や錦糸町は歓楽街があるし、所謂下町でお洒落ではないし、渋谷や新宿も遠いからそう言ってくれたのだろう。

しかし、忠告に耳を貸さずに墨田区に住んだ。そして幾度となく隅田川を眺めに行った。大きな川に架かる、夜光る橋をいくつも渡った。滝廉太郎作曲の「花」では、隅田川沿いに桜が咲き誇る様を「げに一刻も千金の 眺めを何にたとふべき」と歌っているが、夜の橋から、浅草の街が光るのを、生臭い真っ黒な川の真ん中を船が下っていくのを見つめながら、その歌を聴いた。桜餅も何回か食べて、その度に道明寺の方が好きだなと思った。

亀戸にはよく散歩に行った。亀戸天神は隣の江東区にあり、少し離れているので、土曜日の昼下がりの散歩にうってつけだった。ただ私は人混みが嫌いだから、遂に一度も藤の季節に行くことはなかった。くず餅は、私の口に合わなかった。関東のくず餅は久寿餅と書き、関西の葛餅とは全く別物なのだそうだ。

錦糸町は確かに歓楽街で、あの日の印象とは全く違ってしまったけれど、古い喫茶店で美味しいホットケーキのお店を見つけた。硬くて分厚い、昔ながらの無骨なホットケーキだった。

 

隅田川も亀戸も、本で見た光景とは全く違っていた。けれど、私はあの街が好きだし、あの川が好きだ。本を読まなければ、きっと行くことも、住むこともなかっただろうと思う。本が私を連れてきてくれたのだ。

今はもうその会社は辞めて、それに伴い墨田からも引っ越してしまったけれど、初めて一人で暮らした街が墨田でよかったと思う。今住んでいる街も、そういう風に好きになれたらいいなと思っている。