カモメノート

自由帳

テレビが飾りになっている話

友達が一人暮らしを始めた。人生ではじめての一人暮らしだそうだ。部屋を自分の選んだ家具で飾り、とても楽しそうにしていた。その子からメッセージが来て、「一人でいると、テレビつけないとすごくシーンとするね」と言っていた。それで思い出したのだが、大学時代に一人暮らしだった友達も「部屋で一人でいると、静かすぎる。だからずっとテレビをつけている」と言っていた。

 

わたしは基本テレビをつけない。今欠かさず観ている番組は「麒麟がくる」だけで、それを観ている約45分間が、一週間で唯一テレビを観る時間だ。「麒麟がくる」はとても面白くて大好きでハマっているのだが、それでも番組が始まる5分前になると、「ああ、テレビをつけなきゃ」と思い、憂鬱になる。番組が終わったらすぐに電源をおとし、コンセントを抜く。

麒麟がくる」が始まる前にテレビを観たのは、2019/12/21に「悪魔の手毬唄」を観た時で、その前は台風19号のきた2019/10/6に気象情報を得るために観た。テレビを観なさすぎて、観たときを覚えてしまうくらいには、観ない。昔からテレビは積極的に観ない方で、小学生の頃はそれなりにドラマを観ていた気がするが、いつの間にか全く観なくなった。だから、わたしが毎週欠かさず「麒麟がくる」を観ていることはかなり異常なことである。染谷将太さんが好きです。

そもそも初めて一人暮らしを始めたとき、わたしはテレビを買わなかった。必要だと思わなかったからだ。友達を呼んだ時に、テレビがないなんて、と割とドン引きされて、話が尽きた時にシーンとすることが分かり、お客様用布団くらいの気持ちでテレビを用意した。しかも、たまたまテレビを捨てる予定の知り合いがいたため、その人から譲り受けただけで、もし捨てられる予定のテレビがなければ、面倒くさがって買わなかったかもしれない。

 

友達はシーンとしているのを寂しいとか、落ち着かないというが、わたしは音がほとんどしないと、かえって落ち着くし、安らぐ。一歩外に出れば、音がない場所に行く方が難しいくらい音にあふれていて、疲れてしまう。好きな音もあるけれど、好き嫌いではなく、疲れるのだ。部屋で音楽は聴くが、基本ボーカルのない曲しか聴かない。わたしはどうも、知らない人の声が特に苦手らしい。唯一安らげる家の中で、人の声が満ち満ちていると、気が休まらない。

また、割とマイペースな性格なので、自分のペースで観られないテレビや動画は苦手だ。YouTubeであれば途中で止めることもできるが、そうはいってもどうも面倒臭い。本であれば読むスピードを調整できるが、テレビだとそうもいかない。観ている間、受け身でいることを求められる媒体なので、自由にできないことが煩わしい。

 

そうしてテレビを観ないでいるので、今流行りの俳優もドラマもスポーツの動向も知らない非常識人ができあがる。なお、スポーツには関心がないので、新聞のスポーツ欄は一切観ない。だからスポーツの情報が入ってくることはまずない。オリンピックなんてもってのほかだ。日本人が何枚メダルを取ったとか、次は東京オリンピックだとか、そういうことに興味がない。

しかしテレビは会話のきっかけにちょうどいいツールなので、初対面の人とはよく会話にのぼる。初めて出会った人からテレビの話をされる時が苦痛だ。テレビを観ていないと言われたら、じゃあ何をしているの?と言われるが、一日働いた日なんて、帰れば八時九時になるのだから、ご飯をたべ、お風呂に入り、洗濯をまわして、寝るのでじゅうぶんだ。空き時間があれば本を読んだり、お茶を飲んだり、勉強したりするくらいで、そこにテレビがあるかないかの違いじゃないか?「じゃあ、休みの日は何しているの?」と聞かれ、「お散歩です」と答えて「おばあちゃんみたいだね」と言われてから、その手の質問に答えるのは面倒臭くなった。

 

誰かといなくて寂しいとあまり思わない。誰かの声が聞こえなくて落ち着かないなんて、もっと思わない。そう言うとまるで人間嫌いの人でなしのようだが、そうではない。人間嫌いだったら、本なんて読まないだろうし、友達と会ったり話したりしない。ただそれより少しだけ、一人でいたり、何も聞こえない場所でいることが好きなだけなのだ。